Secret 27
帰宅して真っ先に向かった書斎室の前。
着替えもせず、鞄も持ったまま向かった先では、ドアを開けなくても中からの声が漏れ聞こえてきた。
「全く、これじゃ割に合いませんよ!」
想像通りのキレようだ。
そんなに興奮しなくても、と呆れながらノックをして中へと入った。
「ただいま」
「あぁ、滋か。お帰り。疲れてないかい? 」
「大丈夫よ、パパ」
「滋さん、お邪魔しています」
「えぇ」
書斎机に座るパパの対面に立ち、不機嫌面を隠そうともしない男は、私に形だけの挨拶を済ませると、再びパパに向き直った。
「大河原社長、これでは私の顔は丸潰れですよ。彼女はこの世界を分かっていない。この俺に泥塗るような真似して、芸能界で生きていけると思ってるのか!」
「まぁ、そんな興奮しないで。まさかダメージを与える筈が、君の方が返り討ちに合うとは思わなかったがね」
パパが苦笑する。
苦笑させている相手は、城崎甲斐斗だ。
私は、そんな二人を横目にソファーに腰を下ろした。
まだまだ続くだろうやり取りに気を重くしながら、つまらな気にスマホを操作し会話に耳を傾ける。
「普通は何も言わないのが利口なやり方ですよ。これからお落としてやろうと思っていたのに残念ですが、ここまでコケにされては、俺も黙っているわけにはいかない!」
「確かに随分と気の強いお嬢さんのようだね。だが、君の役目はもう終わりだ。牧野つくしの件からは引いてくれたまえ。その方が君の為でもあるし、深みに嵌って私達との関係がばれても困るんだよ。なぁ、滋」
二人の会話をソファーで黙って聞いていた私にパパが話を振る。
「そうだね。私もここで終わりにした方が良いと思うよ」
「しかし! 隙きを見せない彼女に対して真逆の発言をしたのは、滋さんに言われたからですよ? 滋さんからの指示通りにあんな科白をマスコミに話したら、これだ。これじゃ、俺の立場がまるでないじゃないですか!」
興奮の矛先は私にも向けられる。
城崎に何を語らせれば二人に動揺を与え、距離を取らせることが出来るのか。と、パパが城崎を取り込み策を巡らせているのを知り、私も一枚噛んだ。
成功させるために、司の動揺を誘う助言はしたけれど、そもそも考えもなしにおいしい話に飛びついた城崎が、立場がないとは笑わせる。
確かに、つくしの言動には私だって心底驚いた。
昔のつくしならいざ知らず、何もかもを手に入れ守りに入った今のつくしが、堂々とカメラの前で発言するとは想定外だ。
とはいえ、リスクのない上手い話など有りはしない。
城崎甲斐斗にだって多少の傷を負ってもらわないと、旨味だけ得ようなんて虫が良すぎる。
「だとしても、追い込まれない内に、この程度で収めた方が身のためですよ。つくしには大きなバックがついてるから」
淡々と語れば、城崎は驚きながらも諦められない様子だ。
「一体、誰が付いてるって言うんですか? 今回の事も何が目的です?」
私より先にパパが答える。
「君は何も知らなくて良い。詮索をしないのを前提として、ちゃんと約束は守ろう。君の父親が反対しているという映画の制作費は私が負担する。君も仕事に専念するんだね。
それから、分かっていると思うが、この件は漏れる事がないよう、くれぐれも頼んだよ」
城崎は打算に打算を重ねたのか。暫く思案したのちに結局は、散々喚いて主張していたプライドは切り捨て、最大の旨味を選択したらしい。
その程度のものなのだ。この男のプライドなどというものは。
「…………分かりました。では、制作費の件は宜しくお願いいたします」
「あぁ、分かった。それから、もう此処には来ないように」
「はい。では、俺はこれで失礼します」
城崎が出て行った後、バッグにスマホをしまい、代わりに、昨夜司に確認して貰った訂正案の書類を鞄から引っ張り出すと、パパへと近づき差し出した。
受け取ったパパは、書類を一瞥しただけで、そのままゴミ箱へと投げ捨てた。
「城崎は失敗に終わったと思っているが、一先ずは成功だ。二人きりの時間が作れたんだからね。司君との時間は楽しかったかい?」
「楽しいも何も、気になるならその書類の厚さはないんじゃないの?」
「簡単なものならすぐに目を通してしまうじゃないか。気が変わって司君があのお嬢さんの元へと帰られるよりはいいだろう。
あの二人は同棲しているのだろう? こんなチャンスは滅多にない。一緒にいれば司君だって滋の良さが分かる筈だ。
私は嬉しいんだよ。滋がその気になってくれて。牧野さんに遠慮なんて要らない。長い目で見れば、司君にとって本当に必要なのは滋なんだ」
「そうだね。私も諦めないよ」
「あぁ、それでいい。ちゃんと私が守るよ。滋も、この大河原財閥も」
機嫌良く話すパパは、引き出しから一枚の写真を取り出した。
机の上を滑らせたそれに視線を据える。
「これは、……」
「今朝の君達を撮った写真だ。時期が来たらきっと役に立つだろう」
いつの間に撮ったのか。その写真は、司と私がホテルの部屋から一緒に出てきた時のものだ。
「つくしに見せるの?」
「滋は何も心配することはない。パパに任せておけば良いんだ」
「そうだね。じゃあ、私はそろそろ部屋へ戻るね」
「あぁ、ゆっくりお休み」
満面の笑みだった。
全てをもう手に入れたかのような満足気な表情は、私の幸せを既に確信している。
「おやすみなさい、パパ」
微笑み返して部屋を出た私は、息を吐き出し後ろ手にドアを閉めた。
✢
城崎の一件から一ヶ月。
つくしはマスコミのマークがきつくなり、そいつ等を撒いてからマンションへと帰える日々を繰り返している。
念には念を入れ、このマンションの別の部屋をつくし名義で買い、実際にはそこに三条を住まわせた。
万が一、マスコミに嗅ぎ付かれたとしても、部屋は別だと釈明を万全とするために。
幸いにも、と言うには引っかかるものがあるが、今のところは、道明寺側での徹底的な情報ブロックと、つくし側の隙のない動きで、俺達の関係はバレるどころが、疑われている様子もねぇ。
つくしのコメントを受けてのマスコミは、端から俺を除外し、誰がつくしの最愛の人なのかと、裏付けも根拠もなしに片っ端から当たりをつけ騒いでる始末だ。
それは、時には競演した俳優だったり、つくしが出演したMVのアーティストだったり。
幾人もの名前が挙がっちゃいるが、そのたびに書面やカメラの前で、つくしは徹底的に否定しまくった。
そのせいで、余計にマスコミは意地になってる気がしないでもねぇが……。
対して、滋との一件で何も言ってやれない俺は、代わりに可能な限りの時間をもぎ取り、全てはつくしとの時間に充てた。
プロジェクト以外の仕事は、頼めるもんは他の役員に強引に頼み時間を捻出し、秘書は二人体制に移行。
今までは滋を第一秘書として、サポートは秘書課全体で担っていたが、そこから男性秘書を俺付きとして一人引き上げた。
極力、滋と二人きりの時間を避けるための策として。
朝の迎えも、今はその男性秘書が担当だ。
滋からは不満の声が上がったが、跳ね付けた俺の行動は、牽制だって当の本人も分かってんだろ。
メープルで滋からあんな言動があった以上、今まで通りとはいかねぇ。
取り柄である明るさに翳りが見えるが、あれ以来、滋からは下手な発言も、おかしな行動もないが、警戒するに越したことはねぇと、徹底させている。
何よりも今は、つくしが最優先だ。
滋とのことが取り沙汰される度に、つくしが安心するまでとことん話をし、その日の些細な出来事を言葉に乗せ、時間の許す限り会話を重ねた。
約束の日に果たせなかった、二人での時間を取り返すように。
そんな時間を積み重ねた今は、つくしからは不安な様子は見て取れねぇ。
すっかり明るさを取り戻している。
明るすぎやしねぇかと、却って俺の中に違和感を植え付けるほど、過剰なまでに……。
そんな日々のある日。
仕事も終わり、帰ろうとデスクチェアから腰をあげようとした時だった。珍しく奴の方から電話があったのは。
『もしもし、司?』
「類か、どうした?」
類から連絡寄越すなんて滅多にねぇのに、何事かと思えば、それはクソ面白くもねぇ報告だった。
『来週、司んちで牧野の手料理ご馳走になることになったから、その報告』
「は? んなの訊いてねーぞ!」
一瞬にして声が跳ね上がる。
『さっき決まったばかりだからね』
「てめぇ、なに勝手につくしと決めてんだよ!」
『だって、前から約束してたからさ。早くしないと当分牧野の料理食べれなくなっちゃうし』
「当分って……行くのか、向こうに。フランスか?」
直ぐに心当たりを見つけ、声のトーンは自然と落ちた。
『うん、散々ごねてみたけど、もう限界みたい』
「そうか」
『その時に牧野に話をしようと思って』
「分かった。……だとしても、別に手料理はいらねぇだろうが」
「ぷっ、司のケチ。牧野と俺との約束だから、司に言わなくても良いのを、こうしてわざわざ教えてあげたのに。
こういう時はね、司。教えてくれてありがとう、って言うんだよ?」
「煩えっ! 誰が言うか!」
電話の向こうで一頻り笑った類は、
『じゃ、そういうことだから』と、一方的に電話を切った。
類のヤロー、いつだってそうだ!
アイツとの電話で俺の方から切ったためしがねぇ。
言うだけ言って、いつも勝手に切りやがって!
しかし、興奮がひと山超えると、溜息を溢し肩の力が抜けた。
そうか、類もとうとう行っちまうのか。と、らしくもなく感傷が胸を掠める。
こうなることは、俺達にとっちゃ避けらんねぇ宿命だが、何だかんだ言いつつ俺だって一抹の寂しさはある。
俺ですらそうなんだから、つくしにしてみたら……と考えられずにはいらんねぇ。
俺がNYでいなかった何年もの間、類は俺には出来ねぇあいつなりのやり方でつくしを支えてくれていた。
遠く離れた海の向こうで俺は、有り難く思うのと隣合わせに、何度それに恐れを成したか。
だが、類だからこそ、俺は良く分かってる。
ガキの頃から見てきた大事なダチが、愛する女を俺とは違う方法で守れる奴なんだと知っている。────認めざるを得ねぇほど、良い男なんだと。
この身に何かあれば、つくしを託せるのは誰かと考えたとき、真っ先に浮かぶのは類だ。俺が認めた唯一の男。
だからこそ、相反した恐怖も抱く。
俺の身に何かある以前に、ふとした拍子に、つくしの心をまた攫われるんじゃねぇかと。
類に想いを寄せていたつくしの過去が、些細なことで気持ちを焦らせ、心配と嫉妬に直結しちまう。
つくしにめちゃくちゃ惚れている俺は、これから先も心配と嫉妬を繰り返すのを止められそうにねぇけど、でも今の俺たちなら大丈夫だよな?
類が居なくても、二人一緒なら平気だよな?
無駄に明るなったつくしの顔を思い浮かべながら、声に出して問えない問いを、胸の中でひっそりと繰り返した。

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