Secret 26
身じろぎもせず、心の内で一つの覚悟を固める。
それは、いざ何があっても狼狽えないよう、気持ちを防御するために必要な覚悟とも言えた。
やがてスタッフからの声がかかる。
「つくしさん、そろそろ会場入りの時間です」
「はい」
「いいですか、つくしさん。今日は取材陣が大勢来ていますが、今回の新作の商品以外のお話は全てノーコメントです。何を聞かれても笑顔で切り抜いて下さいね? 私たちもガードしますから」
黙って頷いた。
桜子からも念を押されている。
公の場では笑顔だけしか許されず、真実を告げることを許されない立場。
雁字搦めに押さえつけられた行き場のない思いを抱えながら、スタッフ数人に付き添われ会場へと向かった。
会場があるフロアでエレベーターを降りれば、そこにはごった返すマスコミが待ち構えていた。
分かっていたとは言え、あの中に入っていくのは憂鬱でしかない。
私の存在に気が付くと、一斉にシャッターが押され、眩しいほどのフラッシュが浴びせられる。
そんな大勢のマスコミが集まった中、新作コスメのPRイベントは始まった。
まだイベントの最中は良かった。
進行役の方からは、答え難い質問が飛んでくる心配はなかったし、穏やかにイベントは進んだ。
だが、問題はここからだ。
一通りのイベントが終わり、最後に残されたのは、マスコミ向けの質疑応答だけ。
それが始まった途端、雰囲気は一変した。
イベント中は、落ち着いていたはずのフラッシュが再び一斉に焚かれ、待ち侘びていた取材陣から矢の如く質問が飛んでくる。
事前にプライベートに関しての質問はしないよう要請はしているものの、それで黙って引き下がるはずはなかった。
初めこそ、新作のコスメについての質問が続き、当たり障りなく無難に笑顔で答えていたけれど、徐々に新作コスメに恋愛を絡ませた質問へと変わり、何とか答えを引き出そうと躍起になっている。
ついには「城崎さんとは?」とストレートな質問が飛び出し、それを合図に距離を縮めてきたスタッフに囲まれ、取材は打ち切りとなった。
スタッフに促されるまま、その場を後にしようとする姿もカメラに追われ、食い下がるマスコミからは質問が飛び交い止む気配はない。
何も耳に入れてはいけない。無視するしかない。そう念じながら足を進めるも、押し寄せて来たマスコミが先を阻み、足取りはゆっくりとしか進まなかった。
そんな中に、私の耳を突き破り、気持ちを揺さぶる質問が打ち込まれる。
「城崎さんは、つくしさんにとって最愛の人という認識で宜しいですね? 」
決定付けるような許し難い質問に、私は足を止めた。
最愛の人?
それが誰なのかなんて決まってる。
私が愛しているのは、私にとって最愛の人は、誰に何と言われようとただ一人だ。
「つくしさん!」
立ち止まった私の肩をスタッフに押されても、反抗するように動かずにいた。
呼びかけるスタッフを無視して、質問を投げた取材陣へと目だけを向ける。
そんな私に、質問は繰り返された。
「城崎さんが最愛の人とお認めになりますか? 」
私の身体は司の元へはいけないかもしれないけど。
司の名を叫ぶことだって許されないけど。
それでも、私の想いだけは誰にも邪魔されない自由があるはずだから。
例えこの先、私達に障害が待ち受け未来が閉ざされたとしても、私の気持ちまで蹂躙されたくなんかない。
この想いに偽りはいらない。
私は、立ち止まっていた身体を反転させ取材陣へと向き直ると、瞬きもせずにカメラを見据えた。
✢
社内会議が終わり執務室に戻ると、疲労でだるい体を椅子に乗せ、煙草に火を点けた。
溜息と共に吐き出した煙の向こうに思い浮かべるのは、つくしの顔だ。
覇気のない顔、泣き腫らした顔、憂いのある表情。
昨夜のつくしは、どの顔をしていたのかと思うと、どれを浮かべても俺の胸は軋んだ。
「ちゃんと向き合わねぇとな」
無意識に気持ちが漏れる。
家を出て来てからというもの、つくしに連絡は入れてねぇ。
ほとぼりが冷めるまでは、と感情任せな言動を避けるために己に理由を与えたが、所詮はそんなもん建前で、結局は逃げだ。
どうして良いか分からねぇ混乱の中、つくしを失うんじゃねぇかと慄き、苛立ち、そんな不甲斐ない自分に嘆いて、どうするべきかの判断を過った。
しかし、これ以上の逃げ足を踏むわけにはいかねぇ。
今夜は早めに帰って、詰られようが罵られようが甘んじて受け入れるつもりだ。
寧ろ、そうしてくれたらどれほどマシか。そんな怒りを顕にせず、弱ったつくしを見るのは精神的にかなり痛い。
だとしても誠心誠意謝り倒し、そこからの脱却を図るべきだ。
どんなつくしだって、俺の気持ちは結局、何一つとして変わんねぇんだから。
これから帰る。そう伝えるべく、会議中マナーモードにしてあった携帯を手に取った。
だが、つくしに電話を掛ける前に三条からの着信に気付き、眉を顰める。
イヤな予感しかしねぇ。
留守電にメッセージが残されているらしく、恐る恐る再生する。
『 三条です。先輩がコメントしました。マスコミのマークが今まで以上に厳しくなるのは避けられません。道明寺さんの方でも十分に警戒して下さい』
コメントだと?……何のだ。
何に対しての発言だったのか。早口で語られた三条からのメッセージはこれだけで、肝心な部分は吹き込まれていない。
奴にしては珍しい。それだけ慌てているということか。
俺は、急いでテレビのリモコンを押し、片手ではスマホを操作して、ネットからの情報を拾おうとした。
が、先に結果を齎したのはテレビの方が早かった。
『つくしさん!』
テレビからつくしの名を呼ぶ声が訊こえ、弾かれたように顔を上げる。
テレビの前へと進み、食い入るように見た画面の中には、どこかの会場だろうか。つくしが取材陣に囲まれている様子が映し出されていた。
確か、今日は新作コスメがどうとか……。公の場に出ると三条が言っていたのを思い出す。
しかもノーコメントで通せ、そう言われていたはずだ。
テレビの中では、待ったなしの質問攻撃が繰り広げられている。
『城崎さんは、つくしさんにとって最愛の人という認識で宜しいですね?』
矢継ぎ早に飛び交う質問を避け、事務所の奴等にガードされながら取材陣の波をくぐり抜けていたつくしが、突然とその場に立ち止まった。
その様子に俺は釘付けとなる。
『城崎さんが最愛の人とお認めになりますか? 』
マスコミのムカつく質問に腸が煮え返るが、そんなものよりも、マスコミの方へとつくしが振り向く様子に、思わず息を呑んだ。
大きな黒い瞳が、真っ直ぐにカメラへと向かう。
それは、何らかの意志を宿したような強さを感じる視線で、かつてのつくしに良く見られたものと同じだった。
カメラから一瞬足りとも目を逸らさず、そして、つくしは口を開いた。
『いいえ、違います。私が最愛の人と呼べる方は別にいます。昔からたった一人、その人だけです。城崎さんではありません』
毅然と言い放ったつくしに、さしものマスコミも呑み込まれたのか言葉を失い、一瞬、時が止まったように静寂に包まれる。
俺だって呼吸を忘れた。
いち早く立て直しを図ったのは事務所の連中で、そのままつくしを力づくで抱え込み、我に返ったように喧騒を取り戻した会場から、つくしを強制的に連れ出した。
────つくし。
お前にとっちゃリスクがあるだろうに、こんなこと……。
呆然としそうになる自分に叱咤し、俺はすぐに車を用意させると、マンションへと急いだ。
ごめん。ごめん、つくし。
帰路の途中で、何度も何度も心の中で詫びを繰り返す。
自分の背負うリスクも鑑みずに発した言葉に、つくしからの想いを改めて知る。
それを受け、俺の中にあった屈託は取っ払われ、と同時に襲い来るのは、後悔の念だった。
何がつくしに隙があっただ。こんなにも毅然と言い放つつくしのどこに隙などと……。
バカみてぇに俺は、ただ城崎の言葉に翻弄されただけじゃねぇか。
それだけじゃねぇ。
つくしがマスコミに向けた発言で、俺の中の不安が消え失せたように、どうして俺は、同じようにしてやらなかったんだ。
離れているときも、今までだって、度重なる噂に何の対応もしてこなかった俺は、ただ信じろと、それだけをつくしに求めた。
切りがない報道を一々相手にはしていられないとばかりに。
だが、つくしが行動を起こしたように、俺が世間に向け一言でも言ってやれば……。
噂はデマだとカメラの前で何度でも言ってやれば……。
そうしていたら、つくしが今まで抱えてきた不安を少しは取り除いてやれてたかもしれねぇのに。
そう気付いた今は、もっと何もしてやれない。
滋とのことを否定したくとも大河原側がネックとなり、つくしとの関係を公表出来ない今は、身動きが取れねぇ。
唇を噛締めながら自宅に向かう道のりはやけに長く、途中、工事による渋滞に巻き込まれる。
ノロノロとしか動かなくなった車から遂には飛び降り、つくしの元へと走り出した。
少しでも早く、つくしの傍に行きたかった。
こんなに走ったのは何年ぶりだ?
昔、つくしが俺の偽者とバスに乗って去ろうとした、あの時以来か?
やっとマンションまで辿り着くと、マスコミの群れを見つけ違う入り口から中に入る。
どうにかフロアに着き、インターフォンを鳴らすのももどかしく、自分のキーと認証で玄関のドアを開けた。
急いて入ったせいで、乱暴になったドアの開け立て。
その騒々しさに気付いたのか、リビングの扉が開き、中からつくしが顔を出した。
息を整え、ただいま、そう言おうとした俺より先。
「司」
つくしが俺の名を呼ぶ。
ゆっくりと歩みを進め、俺の前まで来たつくしは、
「帰って来ないかと思った」
俯いて小さく呟いた。
「ごめん。ごめんな、つくし」
つくしの頬を両手で包み、顔を上げさせ見つめる。
つくしはそんな俺から目を逸らさずに優しく微笑むと、
「帰って来てくれてありがとう……お帰りなさい」
俺の胸に頬を擦り寄せ、小さな手を背中に回した。
「悪かった。ごめん。許してくれ。俺が全部悪い。……俺もだ。俺もつくしだけを愛してる。昔からずっとおまえだけを」
何度も何度も謝罪を繰り返し、その度に背中に回ったつくしの手の力が増す。
微塵の隙間も与えないほど強く抱きしめ、つくしもまた、きつくしがみつき離れようとはしなかった。

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