Secret 19
「先輩、たまには二人きりで飲みにでも行きません?」
いつもと変わらず笑顔を振りまき、周りのスタッフにも気遣いを忘れない、仕事を終えたばかりの少し痩せた先輩に声をかける。
「珍しいね、何かあった?」
何かあったのは先輩の方じゃないんですか? そう直ぐにでも問い質したい。
私が本当に気付かないとでも思っているのなら大間違いだ。
「えぇ、まあ。たまには私の話も聞いて下さいよ。いつも私が振り回されているんですから」
「そうだね、たまにはいっか! よし、今夜は徹底的に付き合うよ」
「あ、でも、酔い潰れるのはなしですよ? 私の負担を増やさないで下さいね!」
先輩は笑って「了解」と言った。
この期に及んでも先輩の笑顔は崩れない。
あれから幾度となく、道明寺さんと滋さんのことが世間を賑わせているのに、先輩の明るさが損なわれることはなかった────表面的には。
でも仕事が終わり、帰り際にふと明るい表情が消え失せる瞬間がある。
少し前までは、道明寺さんと会えるのが余程嬉しいのか、無意識に口元を緩ませ幸せを隠せない姿があった。最近は、そんな先輩を見ることはない。
以前より痩せたその体で、この人がまた一人で抱え込み悩んでいるのだと思うと胸は苦しく、また、私にも何も打ち明けてはくれないことに、もどかしさや寂しさを感じずにはいられなかった。
「桜子、何か悩み事でもあるの?」
私の行きつけの店で乾杯を済ますと早速話を切り出してくる。
真剣な眼差しで聞いてくる先輩は、自分の事などおくびにも出さずに人の心配を本気でしてる顔だ。
お人好しなのは相変わらず。この人は優しすぎる。
その純粋なまでの優しさが、人を魅了し心を奪われるからこそ、この人の危うさにもいち早く気付き、他人に無関心だった人達でさえ手を差し伸べたくなる。何の見返りも求めずに。
「えぇ。実は」
「私でよければ、話くらい幾らでも聞くよ?」
「じゃ、遠慮なく話しに付き合って貰おうかしら」
「勿論よ、可愛い後輩の為だもん! 私でアドバイス出来るかは分からないけど、言ってスッキリするなら、いくらでも付き合うからね」
愛らしく微笑むその顔が曇ることなく守られるのを祈って、私は切り出した。
「私ね、大事に思っている人がいるんです。でも、その人は何か悩みを持っているようだけど、私には何も言ってはくれない。私を信用していないのか、それが凄くもどかしくて寂しいんです」
「そっかぁ。桜子にそんな男性がいたなんて、全然気付かなかったなぁ」
…………誰が男だって言ったんですか。
ガクリと力が抜け思わず白けた目を向けてしまう。
「先輩? 私が男性の相談を恋愛下手な先輩にすると思います? そんな無駄はしませんよ」
「へ? 男性じゃないって、じゃ、女性?」
「えぇ。友人だと思っているのは私だけなのかな、って思ってね。誰かに話して少しはスッキリすることってありますよね? だから先輩も、こうして私の話を聞いてくれてるんでしょう? なのにその人は誰にも何も言わない。おそらく、大切な人にさえも」
「そうなんだ。きっとその人、話すのが怖いのかもしれないね。
その人が何が原因で悩んでいるのか分からないから何とも言えないけど、でも、誰かに言ってしまえば崩れそうになることってあると思うし。
自分の中にある感情を知られたくないって気持ち、分からなくもないけどなぁ」
「なるほどね……。でも、頼るべき時には誰かに寄り掛かることも必要だって、知らないんですよね。一人で悩んで追い込んで、気付いた時にはもう限界ギリギリで。鈍感だから、自分の限界も分からないのかもしれませんけど。
実際、こうして話していても、自分が話題の中心にあるって、全く気付いてないようだし?」
口にしていたお酒を噴き出しそうになった先輩は、慌てて口元を手で押さえ、大きな目を更に見開いた。
「え、あ…………私?」
「当たり前じゃないですか。ここまで鈍感な人、見たことありませんよ。
誰かに話したら崩れちゃうってなんです? 知られたくない気持ちって? 何を抱えているんですか?」
「いや、待って……あ、あれは、一般論であって、私がどうこうってわけじゃないって言うか……」
「誤魔化せるとでも? 先輩の気持ち分かりますよ。あれだけ道明寺さん達のことがマスコミを賑わせていれば、不安にだってなるだろうし、面白くもないはず。別に無理して笑えだなんて誰も言いませんよ。笑ってる方が不自然。
それに最近、帰り際辛そうに見えるのは、私の見間違いなんかじゃないですよね?」
「…………」
「先輩?」
「………桜子には、敵わないね。参ったな」
フッ、と笑った先輩の顔は、頼り気ない悲しみを帯びた微笑に変わった。
「先輩、今夜はとことん付き合うつもりでいますから」
「うん……ありがとう」
先輩はアルコールで口を湿らせてから、「怖い、って言うのかな」静かな口調で話し始めた。
「司がNYへ行ってる間に出た写真見て、凄く違和感を覚えたの。
お義母様も滋さんのご両親も、そして司も滋さんもいるあの光景を高校の頃にも見たな、って思ってね。何も分からず連れて行かれた場所が、司と滋さんのお見合いの席だった。現実を分からせる為に、私に見せ付ける必要があったんだよね。
もしかしたら、あの時と同じように何か思惑があるのかなって、そう思うんだ。
昔、色々経験したせいかな。こんな風に考えちゃうのは」
「そんな。道明寺さんのお母様だって、先輩を認めてくれたから結婚を許してくれたんじゃないですか。何の思惑もないと思いますよ」
「認められてるかどうかは分からないし、動いているのがお義母様だとも言わないけど、……滋さんのお父さんだっている訳だしね。
でも、あんな力のある人たちを前にしたら、私達の婚姻関係なんて何の意味も持たないんじゃないかなって。いざとなったら、一溜りもなくなかったことにされるかも、って思うんだよね」
やはり、いくら鈍感とは言え背後に動きがあることに気付いている。
「先輩? そういう思い、道明寺さんには言わないんですか?」
「言えない、かなぁ。私が不安になると司が苦しむような気がして。
もし、不穏な力が働いているんだとしたら、きっとね、司は私を守ろうとしてくれると思うの。もしかしたら、既にそうやって動いてるのかもしれない。だとしたら、これ以上、私の為に余計な心配を掛けたくない」
先輩の為なら苦労だってなんだって引き受けてくれるのに。何も言わないからこそ、道明寺さんも周りも心配するのを分かっていない。
「先輩は優しすぎますよ。人が良すぎます」
「違うよ……私、優しくなんてない。だから、余計に何も言えない」
グラスを片手に持っている先輩は、それを口に運ぼうとはせず、代わりに唇をギュッと噛締めた。
「何かありました?」
「…………」
「先輩? とことん付き合うって、私そう言いましたよね?」
先輩は私を見て少しの間を置いたのち、コクンと一つ頷くと、今度は持っていたグラスを口につけ、残っていた中身を飲み干した。
お酒の力を借りずにはいられなかったのかもしれない。
「見えない不穏な力より、もっとイヤって言うか……。
1ヶ月前くらい前にね、会社に行ったんだ、差し入れ持って。遅い時間だったのに、司の部屋では滋さんがソファーで眠ってて、ちゃんとブランケットも掛けられてた。
私も気にしないようにしてたんだけど、翌日、滋さんに言われてね。いつも寝ていても司がブランケット掛けてくれて、眠っている滋さんをちゃんと家まで送ってくれるって。
私とは会えないのに、あの二人は密室で一緒に過ごして何やってるんだろうって。
今夜も司は会社で滋さんといるのかなって思うと、一人でマンションにいるのが、ちょっとだけ怖くなる」
そこまで聞いて、『そんなわけあるはずないじゃないですか』咄嗟に迫り上がった反論を寸でで呑み込んだ。
道明寺さんがそんな事をするはずない。
わざわざ寝ている滋さんを送る? 抱きかかえてってこと?
道明寺さんのそんな優しさは、先輩だからこそ発揮されるもので、先輩が心配するような行動を取るとは、私にはどうしても信じられなかった。
だとしたら─────滋さんが嘘を教えた?
先輩に直ぐさま否定してあげたいけれど、今はまだ否定できない。
はっきりとした真相が分からないうちに、先輩に話してはいけない気がした。
滋さんが嘘をついていたとしたら、また違う意味でこの人は悩んでしまう。
余計な悩みを与えてしまう前に、まずはこの話が本当かどうか確かめるのが先だ。
「私には、忙しい司の面倒なんてみれないでしょ、って滋さんに言われて、何も反論できなかった。
出来るはずないよ、本当の事だもん。時間だってあまり取れないし、世間に内緒にしてるから勝手に動くことも出来ない。取れかかってたボタンに気付きながらも、帰ってきたときにはしっかりと付けられてあって……。多分、それも滋さんが縫い付けたんだよね。
何も出来ない私の代わりに、滋さんが全部してくれてるの」
滋さんがそんな事まで?
あまりの意外性に内心驚きを隠せない。
先輩は一気に話終えると、2杯目のカクテルを注文した。
「私ね、…………滋さんに嫉妬してる。司の傍にいてほしくないって。司も滋さんに優しくしないでって。軽蔑……するよね?」
先輩の瞳が不安げに揺れる。
そんな怯えた顔なんかしないで? 先輩は何も悪くない。
私は先輩の心の錘を少しでも取り除きたくて、大げさなまでに笑顔を作った。
「あぁー、良かった! 先輩が普通の感覚持ってて! 私、正直言って、先輩ってどこかおかしいかと思ってたし」
「ちょっと桜子、おかしいって何よ」
拗ねた素振りの先輩に向って話を続ける。
「先輩が持っている感情が普通だって言ってるんですよ。
誰かを愛せば、その人の全てが欲しくなる。嫉妬だってするし、我儘にだってなりますよ。純粋だけじゃいられない。不純物が混じることだってあるんです。
皆、そうなんじゃないですか? それを表に出すか出さないかの違いだけで、大差なんてないと思うけど」
「そうかなぁ。私って、こんな奴だったかなって最近思うんだよね。
司に何も言えないのは、司を悩ませたくない気持ちと、こんな私を知ったらどう思うかなぁって。いつか愛想尽かすんじゃないかって、きっと私怖いんだよね」
嫉妬してしまう自分を責め、道明寺さんに気遣い、そして、滋さんの本心を探ろうとはしない。そんな先輩は、やはり優しすぎる。これではいつか先輩が壊れてしまう。
「先輩はどうなんです? 道明寺さんのこと嫌いになりました?」
「え、私?」
何を言われているか分からない様子で私を見つめる。
「えぇ。道明寺さんなんて、昔からそんな感情とっくに先輩にぶつけてきたじゃありませんか。有り得ないほどの嫉妬心を隠すことなくね。
それでも今も変わらず、先輩は道明寺さんを愛している。きっと、道明寺さんも同じです。先輩の思いをぶつけた所で何も変わりませんよ。幼かったあの頃とは違うんです。それだけ道明寺さんを深く求めてる証拠なんですから」
「…………桜子」
「先輩はすぐ一人で抱え込むから。私達って、親友ですよね? それとも、そう思っているのは私だけですか?」
「私も大切な親友だと思ってるよ、桜子のこと……こんな親友がいる私は幸せだなって。本当にありがとね」
屈託のない笑顔で急に見つめられ、こんな風に言われると、私の方がガラにもなく照れてしまう。
「桜子ッ!」
急に大きな声で名前を呼んだかと思うと、今度はじゃれて私の腕に絡みつきながら甘えてくる。
「ちょ、ちょっと止めて下さいよ、先輩! 急に甘えられても怖いんですけど」
「いいじゃない、嬉しいんだからさ! 桜子のお陰で、話したら気持ちが軽くなっちゃった!」
今、目の前にいる先輩が、ふざけながら笑顔であるのに安心しつつ、一方で、滋さんの行動に不安を感じずにはいられなかった。
まだ何も解決なんかしていない。
ふざける先輩を窘めながら暫く二人でお酒を交わし、程よくアルコールが回った頃合いで先輩をマンションまで送り届けると、連絡を取るべく電話を取り出した。
もう一人の友人が、私の願い空しく、誤った道へと突き進んでしまったのかを確かめるために。

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予約投稿を間違え、一度公開してしまいました( ;∀;)
見た方が居たとしたら、混乱させてすみません!
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