魅惑の唇 5
会話のなくなった暗闇は静か過ぎて、司と二人取り残されても、正直居心地が悪い。
織部君がいる前では、口にしてはいけないような気がして聞かなかったけれど、釈然とせず胸がつかえたままで、これをどうすればいいのか分からずにいた。
「まだ納得してねぇんだろ?」
見透かしたように言う司は、やけに機嫌が良さそうで、顔をニヤつかせあたしを見ている。
その余裕綽々な態度も、自分の中にあるモヤモヤも、あたしを苛立たせて行く。
「んな、怖ぇー顔すんな」
「あんたのせいでしょうが! 場所変えてゆっくり話がしたいなんて、一体、彼女とどんな話をしてたんだか。だから、そんなもの……」
「そっからかよ。つーか、お前盗み聞きしてたのか? だったら、あいつの話ばっか聞かねぇで、最初っから俺の話を聞いとけ」
「盗み聞きなんてしてないっ! 後輩が言ってたの! あんたが甘いトークで女性を誘ってたって!」
すり抜けて行く風に司は深い溜息を一つ乗せると、綻んでいた顔を落ち着かせ話始めた。
「確かに、あの女と話をする為にメープルに行った」
メ、メープルですと!?
「いたっ!」
司の長い指でパチンと額を弾かれる。
「くだらねぇ想像すんなら、話が終わってからにしろ」
「だって、わざわざメープルに行かなくても、お屋敷で話せば済むんじゃないの?」
「お前がいたからだ。脅迫状の事、お前に知られて怯えさせたくなかったからな。
はっきりさせる為に織部も初めから呼ぶつもりでいたから、あの女と二人きりにはなってねぇし、お前にも近づけたくなかったんだ。
俺だって、あの女が織部の恋人だって、今日知ったんだぞ?
お前が、取材前に部屋に来た時、隣の部屋で電話で報告受けた。
それでも、お前とあいつが同級生ってだけで、はっきりとした実情が掴めないまま脅迫状まであるしよ。どんな状況になるか予測できねぇのに、危なくてお前に近づけられっかよ」
え? 二人きりじゃなかったの?
じゃ、その白いシャツに、これでもかってほど、鮮やかに主張しているそれは?
まさか「第3の女」現る!?
「アホか! 第2もいねぇだろうがっ!」
やばい、口に出てたか!
って言うか、今回は口に出してたような自覚は何となくあったけど。
「じゃあ、それはどういうわけよ!」
そっぽを向きながらも、司のベルトのバックルから、僅か上に存在するものを指差した。
「………」
…………反応がない。
恐る恐る司を見てみれば、またさっきと同じように、満足そうにニヤニヤと笑いあたしを見下ろしている。
「ちょっと何なの! 言い訳も出来ないわけ?」
「聞きてぇか?」
笑みを止めるつもりはないらしい司に、怒りが最高潮となる。
そんな嬉しそうな顔して、どういうつもりよ!
もしかして、あんたのモテモテ振りをあたしに自慢しようって訳じゃないでしょうね!
「おっと、危ねっ!」
無意識に繰り出してしまった右手をガッチリと捕まれた。
「めちゃくちゃ惚れてる男を二度も殴るつもりか?」
「だ、誰がめちゃくちゃ惚れてるですって! 馬鹿じゃないの! 自意識過剰男ッ!」
「そんなヤキモチ妬いて言われても、説得力ねぇよなぁ」
「ちがっ!」
否定しようとしたものの、捕まれた手を突然引き寄せられ言葉が途切れる。
離れようともがいてみても、強く抱きしめられ腕の中に包まれては、逃げ出すのも容易じゃない。
しかし、諦めずに抵抗を続けていたあたしの全ての動きを止めたのは、耳元で囁く司の言葉だった。
「タマんだよ」
「……は……い?」
「この口紅はタマが付けたんだよ。ちゃっかり今日、化粧してただろ」
タ、タマって……タマ先輩!?
確かに、今日はメイクもしてたけど。
司のシャツに、くっきりと浮んでいる紅で彩られた唇の痕。
これが、あの杖を思いのままに操り武器とする、コスプレ好きではないのにメイド服を着て、黄色いちゃんちゃんこがとても良くお似合いでいらっしゃる、あのタマ先輩のもの?
「嘘っ!」
「嘘じゃねぇって。取材が始まるまで待機してた部屋で、コケそうになったタマを支えたんだよ。そん時に付いたんだろ。俺も直ぐにジャケット着ちまったし、その後も脱がなかったから、お前が飛び出して行くまで気付かなかったけどよ」
だからあんな場所に?
タマ先輩の背の高さで倒れそうになったのなら、司のウェストラインに当たってもおかしくはない。
と言う事は、あたしって、もの凄く恥ずかしい勘違いをしていた?
「普通、こんなとこに口紅なんかつかねぇよな? なぁ、つくし。どんな状況想像してたんだ?」
そ、それを言うなっ!
「そ、想像なんかしてないからっ! そんなの見たら誰だって驚くでしょうがッ!」
噛み殺しきれない司の笑い声が漏れ、あたしの耳元をくすぐる。
「安心したか?」
「べ、別に?」
素直じゃないのもあるけれど、恥ずかしさのあまり可愛げなく振舞うしかない。
「俺は安心させて貰いてぇんだけどな」
「な、何をよ!」
更に腕に力を入れ抱きしめた司は、
「俺がどんだけ心配したか分かってんのかよ」
低い声で呟いた。
「え?」
「あの女のこと、お前は俺に何も言ってこねぇし、進が気付いて知らせてくれたから良かったものの、勘違いされたままあれ以上逆上されてたら、どうするつもりだったんだ」
そうは言うけど、知りたくない現実を突きつけられそうで、簡単に口には出来なかった。
司が忙しかったっていうのもあるし、まさかこんな結末だったなんて予想もしなかったし。
だけど多分、司のことだから相当心配はしていたはず。
「……ごめん」
「だったら、婚約発表しようぜ。そうすれば堂々と傍にいれるんだからよ、一緒の時間も増やせんだろ。何かあっても気づいてやることも出来るし、こんな誤解があっても直ぐに解いてやれる。俺がお前を守ってやるから……。
それとも何か? 今回みたいに、心配するたんびに夜中まで調べて、俺の睡眠これ以上奪うつもりか?」
え? 夜中まで調べてたって、そのせいで連絡もあまり取れなかったとか?
「ったく、俺のこと疑った挙句キスまで拒否りやがって、我慢ならねぇ!」
「いや、そんなこと言われても、あの気持ちのままじゃ……」
「うっせぇ! 大体な、キスもさせねぇ癖に、んなもん付けやがって! 普段、グロスなんて付けねぇだろうが!」
「あっ、これ? お姉さんが送ってきてくれたの。可愛いでしょ?」
「誘ってんのか?」
そう言って、親指であたしの唇のラインをなぞってくる司。
「違うから、絶対に誘ってなんかないっ! って言うか、グロスつけてなくても、直ぐにキスしたがる癖に」
「まあな」
さも当たり前のように言う司の顔が近づいてくる。
あと少しで触れ合いそうになる手前、「右手、邪魔してこねぇよな?」そう聞かれても何も答えず、代わりに両手で司の胸元をギュッと握れば、二人の唇は距離をなくし重なり合った。
…………って、ここ外じゃん!
そう気付いても、司への想いの方が理性を上回って離れられない。
ひと月ぶりに熱を持ったそれがゆっくり離れると、あたしの髪をぐしゃりと撫で、満面の笑みを浮かべて細めた目を向けてくる。
「それにしても、つくしってすげぇヤキモチ妬きだったんだな! まさか、お前がそこまで俺にべた惚れだったとは!
ま、俺が浮気なんかするはずねぇんだからよ、今夜はもう何も考えねぇで安心して寝ろ」
「………」
「んだよ、黙って。照れてんのか?」
顔が弛みっ放しの司のシャツを握ったまま、恐らく真っ赤になってるであろう顔を上げ、真っ直ぐに目の前の男をしっかりと見る。
ひとたび誤解が解ければ、あたしのヤキモチを子供のような笑顔でバカみたいに大喜びする、地位も名誉もある、ガキ、時々少年────のち男。
そんなアンバランスな男に、惚れてるあたしは……、
「司?」
「ん?」
「今日、泊まってく?」
「っ……!」
……………相当イカれてる。

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