Secret 20
携帯の画面に呼び出した名を見ながら考えを改めた。
違う。真実を知るには、当の本人の彼女ではダメだ。
考えたくはないけれど、もし嘘を嘘で塗り固められたら……。
今、必要以上に突き詰めるのは得策だとは思えない。
呼び出した名に繋ぐのは止め、画面には新たな名を表示させた。
全てを確かめるには、この人の方が間違いない。
「こんばんは。すみません、急に無理言って」
扉が開いたままの部屋の前で一声掛け、遠慮なく中へと入る。
通り過ぎ様にあるソファーには、誰もいなかった。
「三条、つくしに何かあったのか?」
執務机から顔を上げたのは、真実を確かめるに相応しい人、道明寺さんだ。
「いえ、さっきまで私と一緒に飲んでましたけどね」
「何だ、飲み行ってたのかよ。あんま飲ませんなよ」
「分かってますって。それより、滋さんは?」
「もう帰った。最近は早めに帰らせてる。滋がいないほうがいいんだろ?」
良かった。道明寺さんなら察してくれると思った。滋さんが居ないのなら真実を確かめられる。
「送って行かなくて良かったんですか? 早めって言っても、普通のOLさんが帰宅する時間よりは遅いだろうし、大河原家のご令嬢ですよ?」
「は? 何で俺が送んなきゃなんねぇんだよ。俺はそんな暇じゃねぇ。遅かろうが何だろうが、滋のとこの車で帰ってんだ。安全だろ」
………やっぱり。
悲しい予感は的中した。
道明寺さんは滋さんを送ったりなんてしていない。
安心した気持ち半分、残りの半分は、友人がついた嘘に悲しみと不安が入り乱れた。
「それもそうですね。道明寺さんは、先輩以外誰かと二人きりになるのは嫌なんでしょうから」
「こんな時だからな。出来るだけ誤解されるようなことは排除しときてぇ」
「なるほどねぇ。で、扉も開けたままなんですね?」
開いたままの扉を見つめながら言う。
「あぁ」
「先輩を思って、ここまで徹底してるなんて、当の本人は知らないでしょうね」
「つくしもここに来たけど、そん時もドアは開けといたぞ」
「そんなんで分かるはずないじゃないですか。あの鈍感な先輩が。
それに、いくらドアが開いてるからって、こんな時間にこのフロアで彷徨いている人影なんて数人でしたし。男と女ですもの、ここで滋さんと二人っきりでいたら、万が一って事だって……、」
「あるかっ!」
道明寺さんは、疑うような目で見る私の言葉を最後まで聞かず、大声を張り上げた。
クスっと笑って道明寺さんを見る。
「知ってますって。私も玉砕した一人ですから。例え誘っても無駄だって、よーく分かってます」
「…………」
書類に視線を落とした道明寺さんは、お得意の聞こえないフリだ。
「滋さんも、また道明寺さんに玉砕したそうですね」
「…………」
一瞬、眉が動いたような気がしたけれど、道明寺さんからの返答はない。
滋さんの想いを汲めばこそ、安易に会話には載せず余計なことは言わない。道明寺さんのせめてもの配慮だ。
「本人から聞きました」
「……そうか」
「道明寺さん?」
「何だ」
「先輩と結婚してる事実。世間に発表するの早められませんか?」
意外だったのかもしれない。いつも二人の関係がばれないようにと動いている私が言うなんて。
書類に向けられていた視線が反射で上がり、私のものとかち合った。
今までは、世間に知られない方がベストだと思っていた。たった1年なら。
でも、今は状況が違う。二人の事実を公にした方が、きっと全てが良い方向へと進む。
「俺も出来ればそうしてぇけど、つくしの方は大丈夫なのか」
「事務所に掛け合ってみます。このままじゃ、先輩も滋さんも辛くなるだけです」
「やっぱ、つくしに何かあったんだろ?」
本当のことは言えない。
少なくとも滋さんがついた嘘を道明寺さんに告げ口するような真似はしたくなかった。先輩だってそれは望まないはず。
滋さんにしても、道明寺さんには知られたくないだろうから……。
何より、これ以上、滋さんを刺激し追い詰めてはいけない気がした。捨て身で誤った道へ行かせないためにも。
「いいえ。何も変わりませんよ。だからこそ気をつけた方が良いって、分かってますよね?」
「あぁ」
「道明寺さん? 例えば、先輩のマネージャーが私ではなく、花沢さんだったらどうします? 四六時中、一緒に行動しなくちゃならないですけど」
「な、何言ってんだっ! そんなの許すはずねぇだろがっ!」
もう、声が大きいですって。だから、例えばだって言ってるのに。
大体、大企業の後継者と言う立場で、マネージャーなんて出来るはずないじゃないですか!……と言いたいところだけれど、花沢さんなら道明寺さんと同じくらい先輩の事となると意外な行動に出る人だから、周りなんて奇想天外な言動でねじ伏せて、喜んで引き受けちゃうかも。
そんな考えをしている間にも、リアルな想像でもしていたのか、道明寺さんのこめかみは、ピクピクと痙攣している。
「冗談に決まってるじゃないですか」
「つまんねぇ冗談言うな。全然笑えねぇんだよ」
「どうして笑えないんです?」
「類は、……類だけは、ダメだ」
「そうですよね。花沢さんの気持ちを考えたら笑えませんよね。それにまた、先輩が花沢さんの元へ行ってしまうかもって不安もあるでしょうし。昔そうだったように」
敢えて地雷を踏めば、道明寺さんの目が険しくなった。
未だ花沢さんに対しての不安をこの人は拭いきれていない。────同じだ。先輩だって同じなんだ。
「でも先輩は、そんな笑えない冗談のような中にいるんですよ、現実にね。一時とはいえ、道明寺さんは、滋さんと婚約までした仲ですし、付き合ってもいましたよね?」
「や、あれは……」
一瞬にして道明寺さんの額の痙攣は治まった。
「別に道明寺さんを責めてる訳じゃないんです。でも、やはりこのままではいけないと思います。こんな状況やっぱりおかしい。先輩のためにも、滋さんのためにも」
「滋?」
「どんなに振られたって、そう簡単に気持ちが切り替えられるほど人って単純な生きものじゃないですから。私がそうだったように」
別に嫌味で言ったわけではないのだけれど、道明寺さんは居心地が悪そうに私から視線を外す。
「誤解のないように、私のプライドの為にも言っておきますけど、私、道明寺さんに未練なんてこれっぽちもありませんから。
基本的に男性との出会いは、これから先だっていくらだってあると思ってますし。
でも、本当の女友達っていうのは、なかなか欲しくても出来るもんじゃないんです。しがらみを抱えた大人になれば尚更にね。だから、そんな親友に出会えたら大事にしたい、そう思ってます」
滋さんもその事に早く気付いて欲しい、と心で付け足す。
「とにかく! 公表する時期を少しでも早めましょう」
「あぁ。俺の方は元々、大河原家に早く結婚の事実を打ち明けるつもりで進めていたから、2ヶ月くらい余裕で早められる」
「2ヶ月ですか……。では、半年後に公表出来るよう私も働きかけてみます」
「頼む、三条。ありがとな」
こんな言葉を言われただけでも価値はあるけれど……。
「道明寺さん、貴重な言葉を聞けただけでラッキーなんですけど、どうせなら形で表してもらえません?」
「んだよ。何か欲しいもんでもあんのかよ」
「えぇ、まぁそりゃ色々と。取り敢えずは、先輩の心からの笑顔を見せてもらえれば結構です。お二人が落ち着いてくれないと、私の婚期も遅れてしまいますから」
「…………それ、俺達のせいか?」
「何か言いました?」
睨みを利かせるのは私だって得意だ。
威嚇の視線を差し向ければ、
「い、いや」
封じ込めに成功し、打って変わって完璧な笑顔を道明寺さんに送る。
「では私はこれで。お仕事中にすみませんでした」
「……おぅ」
要件が済んだ私は、若干引き気味の道明寺さんの元を後にした。
巨大ビルから外に出れば、頬に当たる風は以前よりも涼しく、焼け付くような暑い日々は終わりを告げ、短い季節の訪れを感じる。
発表までのあと半年。凍えるような季節に変わった頃、二人の友人が笑顔でいられる為に、友人達の心が季節と共に凍て付いてしまわぬように、私には一体何が出来るだろうか。
人気のないオフィス街の真ん中で、星に願うかのように小さな光を求め、いつまでも天を仰ぎ見ていた。
✢
誰もいなくなり静まり返ったオフィス。
この静けさが、あいつの温もりを知った俺にとって居心地がいいはずもなかった。
俺が落ち着けるのは、つくしの笑顔が声が、あいつの全てが感じられる場所だ。
つくしが隣にいてくれさえすれば、何処でもそこが俺の癒しの場となる。
それがままならない今。俺の隣に長い時間いるのは滋だった。
三条が俺に会いに来たのには、きっと理由がある。無駄な動きをする女じゃねぇ。
もしかして、つくしは限界に来てるのだろうか。だから、三条が動き出した、そう考えるのが妥当か。
俺がつくしを支えるつもりでいたが、実際には傍にいることすら難しい。
せめて滋の父親には、可能な限り早くつくしとの結婚を告げるつもりで動いてきたが、そうなると今度は、今まで以上に忙しさは増し時間は削られるという悪循環。
しかし、つくしは一切不安な素振りは見せない。
ここ最近は翳りも一切見せず、俺の前では常に笑っている。
これだけマスコミに滋とのことが騒がれているにも拘らずだ。
自分の気持ちを押し殺すのと引き換えにあの笑顔は作られているのだろうか。そう思うといたたまれず、書類に埋もれていた携帯を手に取った。
✢
救われた気がした。
私の抱く感情を軽蔑もせず、寧ろ普通だと受け入れてくれた桜子のお陰で。
どんな感情でもストレートにぶつけてくる司を嫌いにならなかった私を引き合いに出され、初めて気付く自分の中の矛盾。
司はいつだって、良いも悪いも全ての感情を私にぶつけてきた。
時には優しく自分の思いを囁いてくれたり、かと思えば、嫉妬から来る湧き上がる感情を抑えきれずに、荒々しく抱かれたこともある。
暴走気味な言動には頭を抱えたくなることもあるけれど、全ては私を想ってくれるが故だと思えば、愛しさが膨らみはしても、嫌いになる理由になんてならなかった。
私も同じでもいいのかもしれない。今の自分のありのままを包み隠さず司に知ってもらっても。
繕った偽りの笑顔は、いずれ綻びが生じて崩れるかもしれない。そうなる前に打ち明けてみよう、全てを。
決心した私は、目の前のテーブルに置かれていた携帯に手を伸ばす。
その時だった。タイミング良く司から着信が入り、前のめりになって電話に出た。
「もしもし、司!」
『うぉ、早ぇー。今、音鳴ったか?』
「今、私も電話しようと思ってたから」
『そうか。つくし、悪りぃ。今夜も帰れそうにねぇ』
「仕事だから仕方ないけど、無理しすぎないでね?」
いつもならこれ以上のことは言わない。でも、「司?」今夜は意を決して口にした。
「そこに滋さんもいるの? 今も一緒?」
息を呑んだ気配がした。
『滋はいねぇ。ごめんな、つくし。我慢させてたな』
「私こそ……こんなこと言ってごめん」
『謝んな、俺が悪りぃ。つくしがここに来て以来、滋には早めに帰らすようにしてる。嫌な思いさせて悪かった。お前が心配するようなことは何もねぇから』
「私もっと司と話がしたい。ちゃんと向き合いたい。二人の時間を作って欲しい」
『つくし、3日待ってくれるか? 後3日もすれば少しは動ける。時間必ず作っから。一緒にメシ食って、一緒に沢山話して、一緒に同じベッドで寝ような』
「うん、待ってる」
浮上していく。ずっと追い詰められ張り詰めていた気持ちが……。
✢
近づこうと思えば近づける距離にいる。
触れようと思えば出来なくない距離にいる。
NYと日本で離れていた時とは訳が違うのだから。
なのに、見なくても良いものが見えてしまうこの距離が、物事を余計難しくしてしまうと言う皮肉に、何処に救いを求めれば良いのだろう。
3日後。私達は、互いに約束を守ろうとはしたものの果たせず、新たに生まれた抑制仕切れない感情を持て余して、またさ迷い始めることになる。

にほんブログ村