その先へ 8
「こちらは、今日から副社長付として働いて貰うことになった、牧野つくしさんです。インハウスロイヤー兼、西田のサポートもして頂きます」
「牧野です。宜しくお願いします」
朝一からババァに呼び出されて来てみれば、この茶番だ。
何喰わぬ顔して挨拶なんかしやがって。
企みなんてないなどと、どの口が言った?
神島には、変な動きはなかった。
ババァにも気を付けちゃいたが、それらしい報告も受けてねぇ。
この3ヶ月、注意は怠ってなかったのに、それが突然の入社に俺付とは。
受け入れるなら事前の準備が必要になる。ってことは、ヤツが知らなかった筈はねぇよな。
後ろで控える直立不動の西田を睨み見た。
「なぜ俺に黙ってた?」
「休みも滅多に取らない上、仕事は強引で勝手気ままに何を言い出すかは分からない副社長のサポートは、私一人では不十分です。流石の私もこんなこと本人に言うのは憚られ、社長に相談し今日に至ります」
その、強引で勝手気ままに何を言い出すか分からない男に付いて、お前は何年だ。
俺の記憶が正しけりゃ8年だ。
何の問題もなくやってきたはずだ。
しかも、本人目の前にツラツラと結局あっさり言いやがって。
「優秀な方がいらしてくれて心強い限りです」
俺の視線を受け流す西田に言っても無駄と、ババァが座る隣に立つ女に視線を移す。
「あんた、この──」
「牧野さんです」
「あんたじゃありません」
ババァと女がシンクロして否定にかかるが、それを大人しく聞き入れる必要もねぇだろ。
「あんた、この前言ったよな? 何も企んでないって。それがこれか? 相当、強かだな」
あんた呼ばわりが気に障ったのか、すかさず女が切り返してきた。
「"あんたが"、馬鹿だからでしょ!来たくて来たんじゃありませんから」
わざとらしく強調した『あんた』返しだけじゃもの足らず、仮にも上司になる、この俺をバカ呼ばわりか。
「言葉使いもなってねぇ、この女が優秀だと? 」
「これは失礼致しました。副社長に倣(なら)い、言葉使いも態度もこれで良いのかと勘違いしました。申し訳ございません」
全く気持ちの込もってねぇ謝罪をする女を見て、不気味にもババァが口元を緩ませている。
「司さん、牧野さんには無理を言ってこちらに来て頂いたのです。彼女の仕事に支障を来さないよう、振る舞いには気を付けなさい。もし守られなければ、司さんの降格も視野に入れると約束もしてますので、忘れないように」
………何だ、それ。ふざけすぎだろ。
「話になんねぇ」
「これは決定事項です。牧野さん、何かあれば報告を。では、早速、業務に付いてください」
納得するもしないも、ババァの手にかかっちゃ直ぐには覆せねぇ。
癪だが策を練るまではこの状況に甘んじるしかねぇと、ババァの部屋から戻って来て1時間。
俺のペースは、この女によって乱され捲っていた。
「────という訳で、ここの条件は見直した方が宜しいかと」
「…………」
「ここですよ、ここを見直してください」
「…………」
「……聞こえてますよね?」
「…………」
何を言われても一切無視。
視界にすら入れるのも煩わしい。
こうして俺の執務室に出入りさせてやってるだけでも精一杯の譲歩だ。
なのに、この女は、
「さっさとこの箇所を見直せっつってんでしょうがーーっ!」
鼓膜が破れんばかりの声を部屋中に響かせ、女の隣に並び立つ西田は仰け反り、耳の奥ががツーンと震えた俺は顔をしかめ、指先からはペンが落ちた。
昼になれば、スキップして仕事を続けようとする俺の前に、女が差し出してくる仕出し弁当。
それもスルーで仕事を続ければ、
「副社長の乱れた生活環境を正すのも、私には課せられていますので、健康の為にも食べてください」
と、デスクの前に立ち、俺を見下ろしているのが気配で分かる。
それでも書類にペンを走らせてると、椅子を持ち出して来た女がデスクの前を陣取り、
「あんた、あたしが居るの嫌でしょ? 嫌よねぇ? 食べないなら居るわよ。居てやるわよ。食べるまで居座ってやるからねぇ。どうすんの? 早くしなさいよ? ずっと居て欲しいの?」
薄ら笑いを浮かべながら呪文のように俺を脅す。
しかも、すっかりタメ口で。
午後の3時に西田にコーヒーを頼めば、飲み過ぎだからと女にほうじ茶を出され、その2時間後には、作成してきた契約書を確認しろと促してきた女は『良いのか悪いのかぐらい言いなさいよっ!』と、金切り声をまた落とす。
空が黒に完全支配されるまでもう少しの18時過ぎには、勝手に医者を招き入れ、睡眠薬を処方された。
イニシアチブでも取ったつもりか。騒がしい女は、こうして俺の空間を掻き乱していった。

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